VESTが誇る、MADE IN JAPANのシャトル織ネーム
VESTでは、日本国内で丁寧に織り上げるシャトル式織ネームを看板商品としてご提案しています。
シャトル織ならではの立体感と奥行きある風合いは、シャトルが糸間に空気を含みながら織り進めることで生まれます。
現代の大量生産にはない、手間をかけたものづくりの価値を、ブランドタグにも。
ベース地の質感からジャガードの糸選びまで、平織・朱子織の基本組織に加え、特殊織(グログラン、諸越、巻耳、二重織など)や綿・麻などの素材も対応可能です。
規格巾は9〜51mmまで8サイズ、常時32台以上の織機を稼働させ、お客様の多様なニーズにお応えします。
“細部に宿る品質”を感じていただける、VESTならではの織ネームをぜひご体感ください。
北陸地方における織ネームの歴史
織ネームは1910年頃、イギリスより洋服を高級化することを目的に伝承されました。そして1911年頃、兵庫県尼崎市出身の寺岡氏が西陣の紋機と、1台で同時に数巾を織る装置を組み合わせた織機を考案したことで手織機による織ネーム製造が開始されました。その後1920年代に手織機はすべて動力式に改良されました。北陸地方では元来リボンの生産が行われていたこともあり、その製造経験を生かして、いち早く織ネームの産地として発展しました。
1930年代は軍需製品が中心でしたが、1940年代はアメリカから大量の注文が入り、北陸地方全業者が受けても対応しきれない程の大変好況な年代でした。1950年代は織ネーム業界にとって好況、不況を繰り返した波乱に満ちた年代でした。わずか10年あまりの間に織ネーム工場がおよそ5倍に増加し、その影響で過当競争が表面化し、生産秩序が乱れ、混乱状態になり休業する業者が続出しました。それに加え織ネームに使われるレーヨン(人絹)糸相場の暴落、低迷も反映して業界全体が不景気に見舞われました。
1960年代に入ると東京オリンピックの影響で景気が回復し、その後日本人の生活スタイルやファッションの欧米化が進んでいきました。そのためカジュアルスタイルが浸透し、ネームの需要は高まっていきました。またこの頃、一般家庭で酸性合成洗剤や漂白剤が使われるようになったため、それまでの織ネームの主流であったレーヨンの多くは脱色等の問題が発生してしまいました。この事態に対処するため、キュプラ、ポリエステルの原着糸を使用するようになりました。これは、織り易さや価格面でのメリットだけでなく、糊付けの手間等のデメリットを回避することにも繋がり、近年においてもポリエステルを使用した織ネームが主流となっています。
シルク(正絹)ネーム = 高級品
レーヨン(人絹)ネーム = 1960年代までの主流品
キュプラネーム = レーヨンの代替品(現代では少数派)
ポリエステルネーム = レーヨンの代替品(現代では主流品)
また織機については、これまでシャトル織機が中心でしたが、幅広用織機を利用したレピア式織機が導入されて高速化、大量生産化が可能になりました。織柄を表現するためには従来、型と呼ばれる紋紙(厚紙のパンチカードを数十枚繋げたもの)が必要で、作成には時間と高度な技術を要しましたが、PC化が進みデータ化されたことによって工程時間が短縮されるようになりました。